NOTES
2005年~現在までの雑記と、2005年以前のNOTESをまとめて掲載します。
最近のRPGツクールVXAceでの創作メモは、RPGツクールVXAceの網に掲載していますのでご覧ください。
- 2013/04/06 雨
伝承という言葉があります。人から人へ、何かを受け継いでゆくことを指します。 伝統工芸の技術や、経営のノウハウ、昔からの地方に伝わる言い伝えなどもそうでしょう。
それらは、かつてそれを「伝承しよう」と思い立った人が、きっと将来も必要となるだろうと判断したものだと思います。 目指すべき形としては、創始者が10まで築いたものを次の人が12に伸ばし、その次の人がそれを15に……と人から人へと受け継がれるなかで成長していくもの。 一人が一生かけても不可能であることが、次の世代へ引き継がれることで達成されることもあるでしょう。 そしてもちろん、継承する人がいなくなればそれは0になります。
ゲームにも同じことが言えるでしょうか。天才的な発想力と構成力を持った人が素晴らしいゲームを生み出すことはあります。 自身もかつて、これは素晴らしい!と思う作品にいくつも出会ってきました。しかしいつかは、その作品も忘れ去られていくことになるのでしょう。 それらの素晴らしさを何らかの形で後世に伝えるためには、その作品に出会った人々が、何か別の形で創作物を残すことが必要です。 天才には及ばなくても、たとえ間違っていたとしても、自分なりの解釈でアウトプットを生み出して、その一部でも表現することができれば。
自分が創作をする意義というのは、そのようなところにあるのかな、と最近思います。いかにメッセージを詰め込めるかが、この作品と自分との勝負です。
ここで一旦NOTESは更新を完了したいと思います。次に書くときは完成後に。
- 2012/06/03 曇り
数年間更新が滞ってしまいもうしわけありません。
創作、作曲面はわりと噛んでいましたが、RPGツクール関連はしばらく進まない状態が続いておりました。その理由としては、周囲に関わる人間が増えたことが一番大きいかと思います。 仕事や、創作とは無関係の知り合いもそうですし、恋愛関係のこともありました。 2006年くらいまでの製作スタイルは、共同制作とはいえ、主に自分が主導でほかのパーツを誰かに作ってもらうという形態が多かったと思います。 このときの作業というのは、一口で言うと孤独であり、逆に孤独であるがゆえに誰の邪魔も受けず自分の世界観を表現することができました。 しかし周りに関わる人が増えてくると、一転してそちら優先となり、あまり自分だけの時間を取らなくなってゆきました。
しかしここ数ヶ月の間に、VOCALOID関連ですが他の創作者と意見を交えながら一つの作品を完成させる機会がありました。 当たり前のように意見がぶつかるので、どちらかの世界観にあわせなければなりません。 今までこういう製作形態をとったことがなかったので、きっとやり辛いだろうと思っていたのですが、実際はそうではなく、かなり自分のイメージも磨かれる結果となりました。 そして創作に対するボルテージも高く保たれる。
多方面でのばたばたも収まり、少し落ち着いた今、GEを作るにはうってつけの時期かなと感じています。 逆にここ数年間で身につけたプログラムの知識が、RGSSの構成をよりスマートなものにするでしょう。 そして幸いなことに、スタッフとの交流は未だ途絶えていません。
本格的に製作に着手した高校一年のときから、少し感性は変わっているかもしれません。 しかし、ホームページで公開中の共有MIDIに対し、まだ反響が衰えず、また歴代の名作と呼ばれるものが未だにリメイクされている現状を鑑みると、 十分に現代の人々の感性に通用するものが作れるだろうと考えています。
製作に関しては、1日1時間も取れれば十分に思います。RPG製作においては、手を動かさずに考えている時間のほうが圧倒的に多いのです。 また、久々に自分の世界にどっぷり浸かってみるのも面白いかなと感じます。
開発当初から10年を超える年月をお待ちいただいている方々に、満足のゆくものが届けられるよう最大限に努力します。
- 2008/1/12 くもり
創作からしばらく離れると、自分にとって創作がいかに大きなウェイトを占めていたか、痛感しました。
「元気があればなんでもできる」とは良くいったものです。やろうと思う気力というのは、時間を取ることよりも、計画をねることよりも、大事な気がします。 ある意味、やる気さえ起こっていれば、どんな苦境でもなんとか事はこなせるものです。
そろそろ、主要スタッフを一度集める時期がきたかもしれません。
- 2008/1/12 くもり
創作からしばらく離れると、自分にとって創作がいかに大きなウェイトを占めていたか、痛感しました。
「元気があればなんでもできる」とは良くいったものです。やろうと思う気力というのは、時間を取ることよりも、計画をねることよりも、大事な気がします。 ある意味、やる気さえ起こっていれば、どんな苦境でもなんとか事はこなせるものです。
そろそろ、主要スタッフを一度集める時期がきたかもしれません。
- 2007/3/23 くもり
最近、長くGEの製作を続けてきたことを良かったなと思うことがあります。
インスピレーションといいますか、脚本や展開などのちょっとしたトリックは、 天才でない限りは無制限にぽんぽんと出てくるものではなく、街中を歩いていたりするときにふと浮かんでくるのです。 それは時間をかければかけるほど熟成され、一つのシーンをより面白いものにしていく。 そしてまたそれが次のシーンへのよいジャンプ台となるのです。
こうして出来上がるものは、雪の結晶のように純粋かつ精妙な完成度を持つのではないかと思います。
- 2007/2/11 晴
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スタッフは熱意。熱意とは意思の力のことです。
製作が長丁場になってくると、スタッフがいなくなってしまっては致命的です。私は、技術うんぬんよりも、 完成まで諦めずに手を貸してくれる人のほうが大切だと思います。ネットワークが余すところ無く普及した この時代において、どのPCを使っても連絡は可能であり、大体の創作も可能です。仕事がいくら忙しくても、 作りたいという意思さえあれば、一日10分でも時間を見つけて創作に打ち込めるはずです。現に私の周囲では、 多くの人がそのようにして創作をしています。
その意思が不可能を可能にし、夢を現実にすると思うのです。
- 2007/1/3 晴
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シナリオを作るにあたって、脇役というものがいます。今回はとりあえずメインシナリオの大筋を先に作って、 脇役にあたる町人などはあとまわしにしようと思っていたのですが。
いないと全然雰囲気が出ません。これは自分でも驚くべきことでした。脇役あってこその主役、雰囲気あってこその 本筋なのだと思いました。
もう少し太い作り方をしていくことにしました。
- 2006/9/10 雨
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スーパーマリオワールドというゲームがありました。スーパーファミコン最初の作品です。小学生低学年の頃、これがやりたくて仕方が無かった。 持っている友達の家にみんなで集まって交代交代でやった。人のプレイを見ているだけで面白かった。自分でやってみるともっと面白かった。
PC1人1台の時代。幼少の頃から何もかも与えられ、我々も好きなゲームをいくらでもできるようになってきました。 ゲームに限らずあらゆる情報も簡単に得られるようになってきました。
もうあの頃の面白さ、味わえないのでしょうか。私はそうは思えません。それがGEを作る理由の一つでもあります。
- 2006/7/8 くもり
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この夏はGEに捧げることを宣言。見てのとおりです。
ゲームは多くの人が作っていますが、GEは私にしか作れない。 最早趣味の枠を越えて、人生のかなりのウェイトを占める課題のように思えます。 完成しなければ、この先あまり歯切れが良くなく、 完成すればこの先大抵のことがうまくいくのではないかと思えます。
みなさんどうかよろしくお願いします。
- 2006/5/26 くもり
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GEを作り始めてはや数年。曲も数十曲、何年も前に作ったものから最近つくったものまで揃いました。 あらためて聞き直して思ったことは、当たり前のことですが、最初につくった曲と最後につくった曲では作り方も出来上がりも かなり違ってきているということ。新たに学んだことはいろいろあると思いますし、何か失ってしまったものも、あるのかもしれません。
GEという作品は、私自身、そしてスタッフにとって、ひとつの"スケッチブック"であればいいなと思っています。 1ページ目はつたなかった絵が、最後のページまで埋めたところで、色々なものを得て、変貌を遂げている。 スタッフの技術も、そのような変化と経験を経てもらえれば良いと思います。
要は、肩の力を抜いて楽しくやりたいということです。大変量が多いのでそうでなくてはしんどいということです。すみません。
- 2006/5/5 晴れ
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いずれ、この作品が完成したとき、私の最も大きな目標は「フリーゲームは所詮こんなものか」とプレイヤーに思わせないことです。 このゲームによって、何らかの衝撃や新しい見解を持っていただければ(恐縮ですが)幸いだと思っています。
時間をかけた構想は、予想以上に濃密で、隙の無い作品を生むようです。 これは理屈ではなく、時間をかけ、そして長く生きて様々なことを経験した人々だけが作ることの出来る、 他の何にも影響されない力のようなものに思えます。
つまり、ご年配の方々には何を差し置いても追いつけない部分があるということです。 ですから若い人が社長になるより、最も年齢を重ねた人が長老になったほうが私は良いように思います。 話がずれましたが、とにかく単なる駄作として終わらせたくない、記憶に残る作品にしたいと思っています。
- 2006/3/12 雪
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創作を行う上で、発想力や技術も大事ですが、もう一つ大事なのはチームワークだそうです。
思えば、私がこのRPGを作りつづけている何年もの間に、同じ創作者である人々が何人も現れては消えていきました。 中には物凄いセンスで周りの人を驚かせ、そしていつのまにかネット上での行方がわからなくなった人や、 昔はあることに熱中していたのに、ある日ひょっこり戻ってきて全く別のことをやっている人もいました。
そんな中で、スタッフのうちの一人はもう何年も前からずっと製作に参加してくれています。 顔も本名も知らない相手ですが、3年、4年と付き合いを重ねるうちにお互いの創作の癖や 得手不得手などを自然と理解していくようになりました。 ネット上のつきあいでは、就職などでいつ消えるともわからないつながりかもしれませんが、 それでもこの数年間、常にパートナーとして存在してくれていることは、何物にも代え難い 創作の助力と、私自身の助けとなっています。
どんなことにおいても、意識レベルで同調してくれるようなパートナーが一人でもいれば、本当に心強いものです。
- 2006/1/31 くもり
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ツクールXPの内部スクリプト、RGSSは大変便利ですが、一つ気づいたことがあります。 それはなんでもかんでもRGSSでやろうとせず、できることは極力ツクールのデフォルト機能でやったほうがいいということです。
例えば、メニュー画面においてフォント(ゴシック/明朝など)を変更するシステムを作ったとしてます。 これは設定なので、セーブデータとともに保存しなければならないことになったとします。 このとき、わざわざ$Game_Systemなどのグローバル変数群にセーブ用の変数を増やすべきでしょうか? 記述を間違えばバグの元になりますし、はじめから用意されているシステムはあまりいじりたくないものです。 ここは原点に帰って、ゲーム変数を使うべきです。 RGSSがつかえるようになった今、ゲーム変数はツクール2000などに比べてがくんと需要が減ります。 それを全く使わなくてもよいですが、せっかくデータの枠が設けられているのですから、ここは使わない手はありません。 ゲーム変数の1~25番ほどをシステム用変数に割り当てても、ばちはあたりません。 この変数はセーブ時に保存されます。こちらのほうが新しくRGSS内に変数を作るよりも簡単で安全に思えます。
例えば、何匹かの敵に2回攻撃をさせたいとします。 2回攻撃のスクリプトは戦闘部分に追加するとして、デフォルトでは基本行動に2回攻撃がありません。 技で二回攻撃を作ってもいいですが、カギ爪にはカギ爪用の、体当たりには体当たり用の2回攻撃を作らねばなりません。 なんとかデフォルトの攻撃を2回行動させれば作るほうも楽だということになります。 そこで、エネミーの従属フラグにDouble_Attackなどを作って、あとはエネミー分の配列に2回攻撃を行うか否かを指定すべきでしょうか。 モンスターが200匹もいたら、これまた間違えやすく面倒なことになります。 ここは、データベースのシステム項目で属性(ダブルアタック)を一つ増やし、その属性によってRGSSで判断させるべきです。 モンスターにパラメータが増やせないからと言って、わざわざRGSSを拡張せずとも属性を使えばある程度のことができるのです。
と、いうようなことに気づきました。使えるものはうまく使う。これが効率の良い製作の鍵だと思います。
- 2005/12/28 雪
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いやいや、実際作業に取り掛かってみるとそのスケールの大きさに身動ぎしてしまうものですよ。 年内にシナリオを完成してテストプレイまで行けば、と思っていたのですが、ツクールXPの仕様に各所でつまづき、あまり進まなかったのが今年の状況だったと思います。
パーツ無しでシナリオを組み込む難しさを体感しつつ、ある程度進んでは思いついた曲を作曲していて、曲ばかりが増えていきました。 現在34曲1.14GB(CD音質のWAV)で私のかつてのハイエンドモデルだったPCのハードディスクを圧迫しています。 長い間手助けをしてくれるスタッフの方々には本当に感謝しています。 よくよく考えると最早5年以上もいっしょに創作を続けていることになるわけで、ここまできたらもう引き下がれないという感じです。 (決してプレッシャーをかけているわけではありません)
そろそろ気合をいれようということでページを一新しました。 とりあえずシナリオ本線をある程度完結させねばなりません。 少なくともキャラの個性や世界観が出るところまで行けば、デザインも容易になってくるだろうと私は予測しているのですが。
- ◆人それぞれの創作スタイル2005/12/28
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このNOTESは私が思ったことを書き留めただけであって、決して創作についてこう考えなければならないと強要したわけではありません。せめて参考くらいになれば、と思いここに公開していました。
本末転倒かもしれませんが、創作のスタイルというものは本当に人それぞれなものです。フリーウェアで物凄いクオリティの動画を使おうが、5分で終わるゲームを有料で売り出そうが自由です。本来それだけの柔軟さを創作というものは持っていると思うのです。
かつてネットワークが普及していない頃は、周りに参考とする作品や考え方が少なく、本当に自分の思うとおりの創作が出来たと思います。しかしそれは自分ひとりであるがために、壁にぶつかって進めなくなったり、展開が無茶苦茶になって途中で投げ出したりしたかもしれません。しかし今は、パソコンを立ち上げれば既にネットワークにつながっている時代、多くの人の作品や意見に出会うことが出来ると思います。
出会いすぎかもしれません。過剰な創作に対する議論や考え方は、自分のやり方が本当にこれで良いのだろうか、という不安を生みかねません。本来、試行錯誤があるにしても、自分のやり方が間違っているということは創作においては存在しないように思うのです。それを、あれだめだこれだめだという波の中に巻き込まれて疑心暗鬼になっていてははかどるものもはかどらないというものです。
結局、このノートを書いてきて導き出された結論は、”やりたいようにやる”。この一言に尽きます。
- ◆仕事と趣味2005/04/28
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さて、仕事と趣味。この二つについては創作界に限らず、よく話題とされることかと思います。私はRPG作りを趣味としていて、仕事は仕事(といっても現時点ではバイトとなりますが)で別々に考えています。世の中には、趣味を仕事として生活している人もいますし、仕事のために趣味を捨てた人もいらっしゃるでしょう。これからの人生、先のことはわからないのでもしかしたら創作を生業として生きていくことになることがあるかもしれませんが、少なくともG-Eは趣味として作ることは間違いありません。
アマチュアとプロ、この二つとも関わりが深いことですが、趣味だからここまですればいいや、仕事だからこのくらいはしないとだめだ、という基準はあるのでしょうか。仕事では確かに、ある一定のクオリティを満たし、納期を守り、周囲の状況を踏まえた上でいろいろなことを考えないと商品とはならないでしょう。しかし趣味にせよ仕事にせよ、妥協点というものはどこかにありますし、逆に、最高点を目指しつづけてはいけないという決まりもどこにもありません。
例えば物凄い市販品を凌ぐような超大作RPGを精魂込めて作ったとして、それを無償(フリーウェア)で公開してはいけない、と縛るのは滑稽な話です。商品のレベルを超えても、作り手が無償で発表したいと思えばそうできる環境が存在するのです。そんなことをしたら商品のほうが売れなくなってしまう!という考えもあるかもしれませんが、そこまでのものを作れる技量を持つ人材を見つけたならばクリエイターとして雇うために必要と思われる企業の方から雇用をアプローチすべきです。実際、コンテストで優勝すれば商品化、とか、安いシェアウェアとして出したけれども非常に有名になったので一つの会社として発足した、という事例もあるようです。
何か言いたい事の方向性があっちにいったりこっちにいったりする話になってしまいましたが、創作をするにおいて「う~ん、ここまでするとちょっとやりすぎかな」ということは、ある意味ないと考えるべきだということです。途中で妥協するな、ということではなく、自分の力を最大限に発揮してもそれを咎めることはできないから安心して作りましょう、ということです。最高点を見上げてそこを目指すことができる、このことは目標というものを持つ意義を、最大限に発揮してくれる大きな力だと思います。
- ◆高い自由度とその役割2004/08/11
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RPGツクールXPが発売されました。私は近所に売っていなかったのでアマゾンで購入しました。従来のツクールのシステムを受け継ぎ、特にグラフィック面ではその機能が大幅に強化され、RGSSを使った高いカスタマイズ性を有したこのソフトウェアは今までのツクールシリーズの中で最も「出来ることの多い」ゲームコンストラクションツールだと言えるでしょう。
しかしながら私はこの機能を100%使い尽くそうとは毛頭思っておりません。要はG-E及び私の作りたいRPGが実現さえすれば良いのです。RPGツクール2000&2003では自作部分がどうしても強引になり、力技を使っても読み込み時間が長くなって非現実的なシステムしか作れなかった。そういう部分を克服しより私の頭の中の構想そのものに近いものを作ることができるツールがRPGツクールXPなのです。なので、私としてはツクール2000&2003と比較して、どうしても妥協しなくてはならなかった部分に妥協しなくてよくなったツールという認識があります。
結局何が言いたいかと申しますと、自分の頭の中に作りたいRPGの構想がガッチリできていない人にとっては、ツクールXPの機能を使いこなすのではなくツクールXPの機能の多さに逆に翻弄されることになりかねないということです。そういう意味でツクールXPは制作上級者(慣れた人)向けのツールであるとも言えるかも知れません。はじめてRPGを作るときなどは、ツクールにある機能をみて、「これこれこういうことができるのか、ではこれからこういう発想でこんなものをつくろう」という感じですすめていくと思いますが、RPGツクールXPにおいては出来ることが非常に多く、また高い自由度のせいで作るべきものの制約が少ないので完成形がなおさら見えにくい。もし既存の機能だけを活かして初めてゲームをつくるのであれば、ツクールXPよりもツクール2000や2003のほうがある意味向いていると言えるでしょう。(また解像度も1倍精度になってグラフィック作成の労力も増えていますので)
便利で自由度が高いほど、うまく使いこなさねばなりません。ハサミを与えられてうまく使えない人は少ないと思いますが、いきなりチェーンソーを与えられたら何をどう斬っていいのか知識がないと使いこなせません。やはりどこの創作世界にいても、自分の作りたいもののビジョンというのは大切なようです。
- ◆RPGツクールXP2004/03/10
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2004年7月発売とされるこのRPGツクールは、現在の少ない情報だけでも今まで解決できなかったRPGツクール2000&2003での諸問題が大幅に改善され、作るほうにとってもプレイするほうにとってもレベルアップしたツールになるのではないかというのが私の所見です。全てが思い通りには行かないとは思いますし、発売延期なども考えられますが特筆すべき機能は以下のようなものです。
■解像度640*480pix(現RPGツクール2000の縦横二倍、ツクール95と同じ)でフルカラーによる豊かなグラフィック表現
■OGG形式(MP3よりも容量に対する音質効率がよく高音部の劣化が少ない(ように聴こえます、私は)可変ビットレートの音声圧縮形式)でのストリーミングループによるサウンド及びBGMのループ機能
■独自プログラム言語によるシステム関連の幅広い展開性と自作部分の多様化、多機能化
■コンパイルによるファイルの効率よいデータ配分(これは私の予想ですが)と配布の扱いやすさ
以上の点から、容量がかなり大きくなる(おそらくGEの完成形では100メガバイトを突破すると思います)可能性がありますが、これはVectorさんにスペースをお借りしていれば現時点ではダウンロードにあまりにも時間がかかるということはないと思います。また少々心配なのが動作面なのですが、こちらでも出来るだけ軽く動作できるように心がけたいと思いますのでよろしくお願いします。
今の時点では時期尚早と思われるかもしれませんが、大きな構成のRPGだと製作の方式ががらりと変わることになりますので方針だけでもここに掲げておきたいと思います。
何やら世間ではいろいろな風評が立っていますが、私としては「表現技法として使えるものは使う」という単純明快な方針で今までどおり進めていきますのでよろしくお願いします。
- ◆変化するものとG-E2004/01/25
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まずお詫びをしなければなりません。ここのところいろいろなことがあって制作を進めることが出来ず、更新も止まってしまっていました。その数ヶ月の間、様々なことが私の周りで変化していきました。
本家KMFからリンクしていた多くのサイトが閉鎖してしまいました。本当に残念であるとともに、一緒に制作をしてきた仲間である人たちともう制作できないのは何か穴があいたような気持ちでした。しかし、趣味としての創作だけやっていて生きていけるわけでもありません、他の仕事や学業にも専念しなければならない時もあるでしょう。しかしそれでも、続けるという事は非常に大切なように思います。創作だけでなく、全てのことについて。
制作が停滞している間、主に自発的な創作と少しはなれて、他の創作物を受身的にとらえることが多かったと思います。それによっていろいろなものを感じで、私の中のGEの構想も、良いか悪いかは別としていろいろと変化していきました。現在の構想では初期に描いた世界冒険とは違ったものであるかもしれませんが、今の状態を作りあげていくことに不満は全く在りません。
具体的には、今からシナリオをおおまかに完成させようと思います。シナリオができれば他のスタッフに雰囲気を伝えることができるので制作は大幅に進むと思います。進行状況が提示できるのはこの辺りだと思っております。その後にスタッフをできれば増やし、全体の構成とシステムプログラム、ツクールでの形作りに入ろうと思います。
先は長いです。しかし少しずつ、進めていけたらいいなと思っています。待って下さっている方のBBSでの応援も本当に大きな力となっております。BBSを撤去したのは、提示内容が少なすぎるために書き込むこともほとんど限定されてきてしまうだろうと考えたためです。内容が充実してくれば、また設置するかもしれません。
よろしくお願いします。
- ◆創作とは一体何なのか2003/10/08
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創るに作ると書いて創作という言葉がある。創造もまた同じ。創作とは一体何なのでしょうか。
私達は、生きている限りその存在価値を外に知らしめているのではないでしょうか。外に何か情報を放ち、それを周囲にうけとってもらうことによってはじめて、その存在を認識される。一切の外への伝達を行わないということは、生きていないというよりそこに存在していない、ということになると思う。石ひとつであるにしても、その形や質感から、我々はそれを石として捉え、石というものとして分類し認識している。
外へのアピールというのは、生きていく上で必要なことだと思うのです。そしてその一つの形として創作があるのではないのでしょうか。私はそのように考えています。
創作の一つの特徴は、そこに現れるものが創作者の意思であることです。それが、何らかの創作者が外に伝達したいことになっているはずです。そしてそれに共感したり、時には批判したりすることによってその創作を伝えられた人達と交わり、お互い経験を積むのではないでしょうか。
私の場合、”理想”としての形が創作の前面に出てくると思います。言い換えれば、私はそのように創作を認識しています。これには個人差があると思います。非常に辛いことがあって、それを外の人に伝えたいためにわざと創作物のなかにそれを含めるということも考えられると思います。ただ、私が作るRPGに関して言えば、私はその中に理想を追い求めています。現実では叶えきれない、理想です。現実で、こうなってほしい、こうあってほしい、というものが直接的ではないにせよ形になっていくと思います。そうすることによって、現実自体が私の理想に変化するとは思えません。しかしながら私の考えを他の人に伝えることはできる。それが相手に好印象でとらえられようと悪印象でとらえられようと、いずれにせよ伝えることはできる。これは、直接言葉だけで伝えたりするのはなかなか難しいことではないかと思います。その理想を外に放つことによって、自分の思う世界に対するなんらかの反応をプレイヤーに求めているのです。自己満足で作ったもの、という言葉もありますが、作ったからにはその中に外に伝えたいものが必ず含まれているはずだと私は思います。
何かまたしても抽象的になってしまいましたが、自分が何を作ろうと考え、何を目指そうとしているのか。たとえアマチュアで一つの趣味としてであっても、それを考えることは決して無駄ではないと私は思います。
- ◆殺された素材2005/04/28
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素材、という言葉をよく聞きます。もととなる材料のことを素材という。RPGにも、それはあります。
しかし、RPGにおけるキャラグラフィック素材やMIDI素材という言葉が広まったのは最近のことのように思います。まだ私がRPGツクールに触れたばかりの頃は、今は誰しもが持っているネットワーク環境など無く、素材という概念が存在しなかったからです。あるのはRPGツクールに最初からついてきているデフォルトのキャラチップやマップチップ(最近はRTPというものを指すようになったようです)、そしてその中にお目当てのものがなかった時のために、要素を自作するためのあまり高機能ともいえないフリーのグラフィックソフトや作曲ソフト。そういう環境の中で私は、どうしても自分の作りたいものを表現するために、誰が見てもしょぼいとしか言いようの無いグラフィックや音楽を自作していたのです。
今は環境と時代は変わりました。”さあRPGをつくろう!”の次に”さて素材を探そう!”になるパターンも多いようです。昔は今のように多くのサイトにフリーの素材がちりばめられている状態ではありませんでした。これは悪いことではありません。ネットワークが普及して多くの人のフリーの創作物を幅広く使えるようになったのです。
しかし、その代わりに自作離れが進むことはどうしても避けられなかった。RPGを作る場合、特に数人のグループや共同制作で製作の指揮を執る場合は、リーダーはすべての創作要素について知っていなければなりません。自分の描きたい絵や曲、シナリオなどが頭にないといけません。そうでないと、周りの製作者が提出してきた創作物に適切な判断を下せないからです。そしてそれが出来ない時は、多くの場合において作品の未完成や製作陣の拡散が起こってプロジェクトが崩壊してしまう。
もとある素材から、RPGの発想を生み出す、というのもひとつの製作スタイルです。しかし全ての素材が自分の理想とあっているかというと、そうではない。そこで妥協するか、自作で頑張ってみるかは製作者次第ですが、私としてはイメージを形にしていくというスタイル上、できるだけ自作して、もしくはその自作を誰かに依頼し検討して、自分の思い描くものに近づけていきたい。
しかし自分は自作なんて出来るスキルは無い。代わりに作ってくれる人もいないし・・・創作はあきらめるか。こういう状況を残念ながら多く見受けます。これだけは強調したいのですが、出来るスキルが無いのではなくてやってみていないだけです。誰だって最初は0からスタートします。そこから、その方面に詳しい方の指示を仰ぐのもよし、自分でがむしゃらにやってみるのもよし。そういう努力をしないでやめてしまうというのは、創作における食わず嫌いというものです。
クリエイターもプレイヤーも、RTPばかり使っている異なるRPGの、同じような画面に、飽きがきてしまっているのは事実です。RTPが汎用性の高い優れた作品要素であるにもかかわらず。同じような画面の羅列は、せっかくのRTPの輝きを殺してしまった。素材を一切使わずに全てを自作するのがすばらしいかというと、自分はそうでもないと思います。素材をうまく使うのも技術のうちです。しかし最終的には、重要なポイントとなる部分、どうしても譲れない要素は自作するしかありません。それを途中で投げ出さないで、できるだけのことをチャレンジしてみるのはとても重要なことだと思います。
素材をかたっぱしからダウンロードしまくって、世間体で”良い”と呼ばれているものだけをとってつけて作ったRPGは、もはや自分のRPGとは言えません。それはせっかく作った素材を殺しています。だから私は、KMFでの共有MIDIの公開を数曲で控えている状態です。理想的には、オーダーメイドという形で製作者の理想に近い音楽を作っていけたら、と思っています。それでも共有MIDIがイメージとマッチしたので使わせていただきますという書き込みが耐えないのを本当に嬉しく思います。
何かマイナスな面を多く書いてしまいましたが、素材があることで膨らむ想像力や応用の幅は製作にとっては欠かせないものです。ただ、それをうまく使って良いRPGを作っていけたらと思っています。
- ◆RPGが包括する二つの要素 "シナリオ"と"システム"2003/07/24
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RPGというものを創っていく上でいったい何を年頭におけば良いのか?すなわちRPGを構成している要素とは何なのか?これは私たちRPGを創る人々にとって一度はぶち当たる大きな壁です。(あらかじめことわっておきますが、これから述べることはあくまで私の思想ですm(_ _;)m)
ロールプレイングゲーム・・・つまり、プレイヤーが主人公になりかわり(操作し)その世界を楽しむゲームがRPGです。はっきりいってしまえば、何らかの形でこの条件が満たされていればそれはRPGといえると思います。しかし、いくつかの条件が自然に存在していると思うのです。
まず、なりかわって操作する世界は、今私たちが生きている現実世界とは、どこか、何か違っているものでなくてはならないと思うのです。日常とまったく同じことを繰り返しても、何も刺激は生まれない。それは、その舞台が見たこともない架空の世界であったり、主人公が現実では有り得ない力を持っていたり、現実ではできないような場所に進み、そしていくつかの分岐点に立ち、どれかを選択をすること、など。そしてそれを体験すること。インパクト、達成感、感動や葛藤、考えることそのもの。いろんな部分でそれは、現実にはない体験を、させてくれるものだと思います。以前にもちょっと触れたように、ある意味、理想を創っているのかもしれません。まとめれば、これは"シナリオ"を指します。
そしてもうひとつ、ゲームでなければならない。何らかの形でプレイヤーがその世界に干渉しなければならない。同じ読み方でも鑑賞だけではいけません。一方的にむこうからプレイヤーに流れ込むだけのものは、それはゲームではなくて映画とか、小説とか、演説とかです。その干渉とは、選択肢であったり、戦闘であったり、アイテム収集や謎解き、歩いたり人に話し掛けることといった細かい部分も含まれると思います。まとめれば、これは"システム"を指します。
シナリオが無いとどうなるか?システムがあるのでゲームにはなります。しかしプレイヤーが干渉するだけのものというのは、アクションゲームであったり、レースゲームであったり、パズルゲームでもそうです。私の中でRPGとは、それにシナリオ(語られる世界)が付加されたものであると、考えています。これは一概にはありませんが、私の中にあるRPGのひとつの"型"です。
逆にシステムがなければ、既に述べたようにゲームになりません。映画や小説といった向こうから流れ込むものだと感じます。
さらにここから、シナリオはグラフィックや音楽、脚本などの演出によってより具体化され、感じやすくなり、インプレッシブなものになります。そしてシステムは戦闘やシナリオそのものの自由度、アイテムや技といった要素やイベントによる変化によって時にはより複雑に、時にはよりわかりやすく、最終的にプレイヤーにとって楽しめるものになるのが理想ではないでしょうか。
私の中でのRPGというものの型は、大きくこの二つであり、与えてくる側のシナリオと、干渉する側のシステムが両立したものが良いものではないかと考えています。ただ、どちらかに偏っても決して悪いものにはならないと思います。それはプレイヤーの好みにもよるだろうし、偏りの感じ方も人それぞれ。ただ、両方において自分の表現したいものを極限まで高めることを目指して努力することは、RPG製作者の共通のゴールではないかと考えます。
少し長くなりましたね。今日はこのへんでm(_ _)m
- ◆MIDIとMP32003/07/23
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音楽の形式についてのお話を少々。RPGだけにとどまらず、以前からコンピューターゲームの音楽にはコンピューター音楽が使われていました。ピコピコという電子音で構成される音ですね。それが近年どんどん発展し、生の楽器の音に非常に近い演奏や、実際に本物のオーケストラを使って録音した音楽を使っているゲームも少なくない状況になってきました。
現時点で、ツクール2003でもMIDIとMP3が使用できるようになっています。お互いの利点をあげてみると・・・
●MIDI
・データサイズが軽い
・動作も軽い
・切れ目の無いループが可能である(ツクールでは)
・録音する手間は省ける(作る側として)
●MP3
・音質は自分の意図する通りのものであり、どのユーザーが聞いても同じ音である。
という感じになります。実質、動作等は改善されるとして、データ量もブロードバンドが普及し、手間をかけてもいいという条件になると、プレイヤー側としては音質でMP3を取るという方が多いかと思います。
私は、MIDIでも十分にその音楽性を表現できるし、MIDIというものを聞くこと自体を楽しむ方もいるのではないか(自分のように)と考えて、MIDIでつくっていこうと思いました。ただ、最近になって、MIDIも音源によって大分違いが出てきていることもあり、MP3も雰囲気を出すには非常に良い方法ではないかと思うようになりました。
現在、MIDIとMP3を任意にゲーム中にも選択できる形式を検討中です。これが、もっともクリエイターに負荷がかかってプレイヤーが自由な形式だと思うので・・・ですがループ面などでMP3の扱いは難しく、なかなか辛いものもあります(MP3は必ずループしてしまいます。オープニングなど一度しか曲が流れて欲しくない場面で画面を最小化した時等に対処するにはどうすればよいか?等)。出来るだけがんばってみます。
- ◆フリーとシェア2003/06/21
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RPGツクールでシェアウェアなんて!!と、思う人もいらっしゃるかもしれません。おそらく私が思うにそう思うプレイヤーの方のほうが多いと思います。
フリーウェアとは、プレイ(ダウンロード)が無償の、シェアウェアは逆に有償の作品を指します。フリーとつくからといって、勝手にその作品の要素を取っていったり、どのように扱ってもいい、というものではありません。
私は自分の作るRPGの作品を、全てフリーウェアで配布してきました。致命的な資金を制作につぎ込んでいるわけではないし(時間はかかっていますが)趣味としてお金を稼ぐこととは区別しておきたかったからです。しかし、アマチュアでプロ並、もしくはそれ以上の作品ができることもありうることであり、それに対して相応な対価を払うことは必要事項だ、という一意見もあります。
シェアにしてしまうと生じる致命的な欠点は、プレイヤーがガクンと減ってしまうことです。現在のインターネット上のシステムでは自販機でジュースを買うように手軽に誰でもお金を使う、ということはなかなか出来たものではありません。そもそも、RPGツクールというものは初心者用とっかかりのGCT(ゲームコンストラクションツール)として販売されているものであり、シェアにすること自体、場違いなのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、創作物の価値は簡単に決まるものではなく、また最近のRPGツクールは市販品に迫るようなゲームを創る機能を十分に備えていると思います。一般に、ツクールが初心者向けGCTだという認識があるなら、シェアを浸透させるためにはまずツクール自体の認識の敷居を、市販ゲームに迫るものも創れるのだ、というところまで高める必要があります。このことは、NEOGAIAのSK氏が実際に提案されています。
ただ、自分の作品は市販に迫るものかと聞かれると、返事は微妙なところで、確かに労力はかけていますが私は趣味としてやっているわけで・・・。しかし相応の対価を払うということは、お金がいるいらないということとは関係なく、価値をはかるものとしてツクールのGCTとしての敷居を上げるためには必要だと思います。
ので、TOPにはカンパウェアという形を取るかもしれません、ということを記しました。カンパウェアというのは、消費者(プレイヤー)の判断にまかせて、商品に価値を見出した方はその人が定めた任意の金額を支払うという形式です。これなら、ある程度は幅広い人にプレイしてもらえて、かつ尺度としての金銭取引も出来てよいのではないかと思い・・・現在支払いにおけるシステムなどの詳しいことを調べているのでどうなるかわかりませんが、方針の一つとして捉えていただけると嬉しいです。
- ◆創られるものとグラグラゲームとリニューアルにあたって2003/06/17
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製作開始を心に決めてから2年以上、G-Eによる世界表現において私はRPG制作における、はじめてのスランプというものを味わったのです。二週間で作り上げたParalellの時も、構想から数年かかったGUST三部作の時も、微塵も感じなかった発想の行き詰まりを。
スランプから脱するためにいろいろともがいておりましたが、ディスプレイが破壊して考える機会を与えられた最近、何故スランプなのか?ということを追求するにいたりました。
一つは身のまわりの忙しさや、一部の人の人付き合い、自分の生き方等による精神面でのプレッシャーなど。しかしこれは気合で克服可能なものです。大事なのはもう一つ、”何を表現したいか?”をはっきりしていなかったことです。
これは、物語のテーマとかそういう具体的なものではなく、RPG(創作物)全体としての、一連のイメージや見通しのようなもののことを指します。前回までは頭にはっきりとしたイメージがあり、いわばその積み木を積み重ねていくだけでよかった。
しかし今回は、舞台が地球であるということもあり、設定にいくらか束縛されがちで、しかも創ろうとしているものが大きく多様なので断片的なイメージはなかなか一つにまとまらなかった。
というわけで、今回は私の幼い頃からの夢だった世界冒険RPGということもあり、制作構想上、すこし無茶をさせていただくかもしれません。つじつま合わせよりも、雰囲気と具体化優先で作るほうも幾分か楽しませていただこう、というような・・・(恐縮ですが)
思い浮かんだ様々な形の積み木を組み上げる。それは結構グラグラゲームになるかもしれませんが、必ずしも崩れるとは限らない。むしろ、遠くから見ると意外なものに化けているかもしれません・・・というような感じで、イメージの固め方を新たに考察するという思いを込めてページリニューアルを行いました。奔放な私をどうかご容赦ください・・・!